世界最大の闘牛場、やまぬ逆風

メキシコシティ観光の目玉の一つである闘牛は「牛がかわいそう」と主張した動物愛護団体の差し止め請求を裁判所が認め、2022年から興行が停止されていた。今年に入って2年ぶりに再開されると、会場の外に大勢の闘牛反対派が陣取って抗議の声を上げ、不測の衝突を警戒した警察官が大量に動員される事態となった。

メキシコの闘牛は16世紀のスペインの征服者コルテスも観戦したとされる伝統芸で、少々の逆風には揺るがない文化としての土台がある。

ただ、闘牛の興行に出てくる雄牛は、闘牛士との闘いでほぼ確実に命を落としていると動物愛護団体は抗議。

世界で年間25万頭の雄牛が闘牛によって殺されているという。

ある闘牛士は、「牛が命を懸けるのと同様に、闘牛士も命を懸けているのだから非人道的ではない」と、文化として尊重されるべきと訴える。闘牛を残酷だと切り捨てるか、伝統芸能とみるか。メキシコをはじめ世界中に議論が渦巻いている。

 

今回の記事は闘牛士の目線から書かれたもので、仕事への誇りや古くから続く闘牛を守りたいという思いが伝わりましたが、私は食用など致し方ない理由でなく娯楽のためだけに動物の命を奪うことは、ひとつの文化として理解はしますが賛成できません。

闘牛を楽しむ人たちは、自分の子供に命を大切にしなさいと説けるのでしょうか。

刀を突き刺されて倒れる牛に熱狂する大人を見て、子供たちが何を感じ成長していくのかと余計な心配までしてしまいます。

そもそも闘牛は、娯楽がなかった古い時代の市民の楽しみとして栄えた文化です。

昔から続いてきたものを終わらせるのは勇気が要ります。

伝統的なものを変えることに畏れもあるでしょう。しかし伝統だから、ずっと続いてきたからと当然のように考え疑問を持たないと、違和感に気づけなくなり、輝かしい過去を負の遺産に変えてしまいかねないと私は考えます。

テレビや雑誌、インターネットなど娯楽が溢れる今の時代にあった闘牛のあり方がきっとあるはずです。

日常的な娯楽でなく特別な日の開催として回数を大幅に減らしたり、現代医学で、痛みや恐怖を感じない闘牛用の牛を研究したり…賛成派も反対派もいろいろな意見を交わしながら模索して、闘牛がこれから何十年、何百年先の未来の人々にも文句をつけられない伝統文化としてブラッシュアップされるといいなと思った記事でした。