任天堂・マリオ「ひげ面オジサン」の衝撃 ファミコン40年
1981年11月、後のゲーム史を変える名機の開発は「家庭用ゲーム機をやらなあかんわ」という一本の電話から始まった。
自宅で受話器を取った当時任天堂・開発第二部の上村氏は面食らった。電話の主は当時の社長。仕様についての説明はない。後日「1万円以下で、3年は競合が追いつけないもの」と指示された。
数人で開発を始めたゲーム機に名前が付けられたのは、83年7月の発売直前だった。「家族がテレビを囲んで楽しめる製品であってほしい」。上村はそんな願いを込め「ファミリーコンピュータ」を商品名にした。
京都市の任天堂本社には「独創」の2文字の書が飾られている。「任天堂はよそとケンカしたら負ける。ケンカしたらあかん」。山内が周囲に語った持論だ。そこから生まれたのが、「ひげ面のオジサン」「他人を威圧しないヒーロー」と愛されることになる、マリオのキャラクターだった。任天堂の現社長、古川氏の脳裏にも、この2文字は刷り込まれている。ゲームは「どんな娯楽も飽きられることを前提に開発し、常にお客様に欲しいと思ってもらえる1番手にならないといけない」と説く。
私は奇遇にもファミコンと同い年で幼いころから様々なゲーム機で遊び育ってきました。
時にはゲームのし過ぎでしなければならないことを疎かにし、親に取り上げられたりなどというエピソードはこの世代、たいていの方が経験しているのではないでしょうか。
またこのひげ面のおじさんやこのおじさん達の世界には幼いころだけではなく大人になってもその世界観で繰り出されるストーリーや機能の進化に驚きや感動を与えられており、そんな感動を常に生み出し、今なお更新し続ける企業としてとても興味を持っています。
競合が多く、割とすぐに飽きられてしまう娯楽業界の中で断トツの地位を、一度のヒットで満足することなく進化をし続け保つ為にあえて他と争うことはせずに共存しあいながらもオンリーワンを生みだし続けるという社の姿勢を唯一無二のキャラクターに投影することでぶれずに発展を続けられているように感じます。
競合があるからこそ企業は発展出来る。
その競合相手と睨みあい争うだけが術ではない。企業だけでなく生きとし生ける者の課題のようなものを突き付けられた気になりました。